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ハート瞑想体験記 私がはじめてハート瞑想に出会ったのは、日本で開かれた死と向き合うグループでのことです。4泊5日にわたったそのグループの最後の最後に行なわれたのが、ハート瞑想でした。それまで、ハートが意味するものもろくに知らず、ただ人生の途上で、胸が痛むとか、ぽっかり穴が空く、とかといった体験こそありますが、とりたててハートを意識して何かをする、といったことはありませんでした。 自分の痛みを吸い込む、それも感じやすい自分の胸――ハートで?。ほんとに私のようなものでもハートって感じられるのだろうか?と半信半疑の中で、OSHOミステリースクールのディレクターだというそのファシリテータのガイドされるまま、ゆっくりと吸う息とともに、自分の惨めさや痛みを深々と吸い込みはじめます。 すると突然、胸になんともいえない痛みのような、切ない感覚が胸のあたりに起こります。ガイドに励まされるように、その痛みから逃げないようにハートで吸い込みます。胸の極限まで吸いきると、今度は深々と息を吐き出します。なんとも微妙なその心地よさといったら。胸がくすぐったいような、深いため息にも似たその不思議な感覚……。嬉しいような、切ないような……。 痛みを吸い込むたび、その感覚は深まり、気づくと私は泣きながら息を吸っては吐いていました。そして胸のあたりに、おだやかなくつろぎにも似たスペースのようなものが広がっているのがわかりました。あえてそれを言葉にすれば、「平安」や「平和」ということになるのでしょうか。 セッションはそのあと、他人の、そしてさらには全人類の痛みや惨めさを吸い込むというプロセスを経て、深いくつろぎの中で終わりました。 最後に横になっている時の安堵感、平和感は、それまで味わったことがないほどのものでした。そのハートのスペースにいると、くつろぎとともに静けさや、勇気にも似た恐れのなさ、深い受容性のようなものを感じます。 以来、このハート瞑想は私にとり、キーとなる重要な瞑想のひとつになっています。 (T男 55才) ■体験者その2 今回サクシン瞑想センターで、スディールのハート瞑想とヒプノシスとタントラの瞑想法を組み合わせた週末のコースをするにあたり、わたしは、OSHOの「メディテーション――ザ・ファースト・アンド・ラスト・フリーダム」の中のアティーシャのハート瞑想を翻訳しました。 その中の、「あなた自身から始めなさい」は、とても興味深いものでした。それは、全世界の惨めさを救おうとする前に、自分自身の惨めさから始めるというものです。 「あなた自身から始めなさい」をその朝の明け方訳し終わり、一段落したとほっとして眠りに就いた後、目覚めていつものようにコーヒーを飲み終わり部屋に一人でいると、ある情景が思い浮かびました。それは忘れたいのに今まで何度も何度も思い出してしまったできごとでした。それはプーナのOSHOリゾートでのできごとでした。 わたしがゾルバで夕食をしようとゾルバの方へ向かって歩いていると、前方にS氏とA子が連れ立ってゾルバへ向かって歩いて行くのが見えました。わたしはS氏が大好きです。そしてA子は20年以上の知り合いです。一緒に食事をしようと思い、トレーに載せた食べ物を持って二人のテーブルに行くと、周りの椅子はA子の物と思われるビニール袋などでいっぱいです。少し驚きながら、「ここに座ってもいいですか?」と聞こうとした時、突然A子がわたしに向かって「わたしは今日帰るのだから、二人だけにして!」と叫びました。 A子とわたしはその3、4時間前まで普通に話をしていました。わたしはA子がその日帰るのを知っていたので、彼女にさよならを言えると思いそこへ行ったのであり、また、わたしは彼女のあるトラブルを解決する手助けもしていました。 わたしはS氏のコースを明日から受けることになっていたので、S氏とも話したかったのですが、無理することはないと思い別のテーブルへ移りました。するとわたしの後に明日S氏と一緒に同じコースをファシリテートするG女史が現れ、S氏が差し出した椅子に座り、A子のあるトラブルのことでA子に注意をし始めました。A子は必死に弁解していました。 そしてわたしは食事を終えてその場を立ち去りました。 そう、あれ以来わたしはA子と再び会う機会もなく、彼女に対してわだかまりを持ち続けていたのです。 「あなた自身から始めなさい」に書いてあるとおりに、あの時の情景を思い浮かべました。そしてA子に対する怒りではなく、あの時の傷ついた感じ、虐げられた、侮辱された・・・それを極限まで思いつめました。涙が後から後から溢れて止まりませんでした。だいぶ長い間、思いきり泣きました。すると思いがけなく突然ある瞬間すべてが一転して、A子に対する怒りが彼女をかわいそうだと思う気持ちに変わったのです。それは歓喜とエクスタシーの瞬間でした。 その後わたしの中のA子に対するわだかまりは消えて、その代わりに余裕とくつろぎが、落ち着きが生まれました。気持ちは軽くなりました。そしてもう、いつ彼女に会っても、自然に彼女と話しができるだろう自分がそこにいました。 それは驚くべきできごとでした。信じられないできごとでした。けれど、OSHOの言っていることは本当でした。そしてわたしはそれによって救われたのです・・・。 スディールへそのことを書いて、「あなた自身から始めなさい」のファイルを添付してメールを送ると、 「話してくれてどうもありがとう。そう、ハート瞑想をしよう。新しい構成で、OSHOハート瞑想としてしよう!」 という返事が返って来ました。 (Ma Dhyan Geet) |
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